平尾和可子(武庫川女子大学大学院修士課程)
第6回大会 参加記
シンポジウム 「コミュニティー心理学から見たセクシャルハラスメント」
感想
平尾和可子(武庫川女子大学大学院修士課程)
セクシャルハラスメントという言葉は、いわゆる「セクハラ」という略語で聞くことが多く、マスコミなどが流す情報から、なんとなくイメージはつかんでいたが、このような学会で、話を聞くのは初めてで、新鮮で、かつセクシャルハラスメントに対する自分の認識が広がったことを実感できたのは、大変有意義だった。
「セクハラ」を受けた当事者が、裁判をおこすことで、又、その裁判の過程を通して何を得ていくのかという問題は、興味深く、また迫力あるお話だった。当事者にとっては、そのことが自己再生の意味を持つという点は、まだまだ軽視されているところではないだろうか。なにより、当事者にとって、裁判が、二次被害の場とならないようなシステムがあるべきだと強く思った。
セクシャルハラスメントが、決して個人内の問題ではなく、そこにあるコミュニティーの権力構造こそが、その根底にあるというのは、従来よく言われてきたことである。では、その権力構造は、いかにして生まれてくるのか、もっといえば、人は、いつどのようにして、自分のなかのジェンダー感覚を育てていくのだろう?このようなことを考えながら、高校でのジェンダー教育のお話をうかがった。生徒よりも、まず、職員室の中からジェンダー教育が始まったというのは、なるほどと思わされた。ジェンダー教育の中で、理想のみならず、現実についても学生に教えるべきだという意見は、私もそのとおりだと思う。ジェンダー感覚というのは、人が生まれ落ちたその瞬間から、あらゆる人間関係を通して育っていくものだろう。そこで何を大切にしていくか、私は、女性は女という性を持って生まれ、男性は男という性をもって生まれてくるという事実だけがあり、後は、一人一人の個性が存在するのだという感覚を大事にしていきたいと思う。男性らしさ、女性らしさの定義は、あやふやで、その時代が必要にあわせて作り出すものではないだろうか。
大学における特に対価型セクシャルハラスメントについては、最近、やっと、少しずつ言われるようになってきており、防止に向けて、文部科学省が 動き出したことが大きく影響していると思う。中でも、コミュニティー心理学の観点からいえば、その危機介入をどこがするのかは、大変重要なポイントだと感じた。お話の中では、第3者機関による相談機関を作っていくということだったが、そのような機関が早くできると良いと思う。
「セクハラ」は、コミュニティーが抱える問題であり、コミュニティーが抱える問題をいかに考え、そこに関わっていくか、まさしく、コミュニティー心理学である。